日時:2009年11月15日(日)14:00~17:00
会場:国分寺労政会館 3階 第3会議室
講師:鍔山英次さん(写真家 当会会員)
演題:スライド・ストーリー「国分寺の名水と近郷の湧水」
参加費:1,000円
参加者:41名(内会員12名)
プログラム:
1)大岡昇平と「武蔵野夫人」(小説と映画)
2)映画の舞台となった落合川(平成の名水百選)
3)武蔵野とは
4)野川源流・恋ヶ窪(日立の大池と姿見の池)
5)“お鷹の道”湧水群と“武蔵国分寺跡”
6)一里塚(消えた一本松)と次郎弁天の池
7)変幻の新次郎池
― 休憩 ―
8)近郷に湧水(矢川・ママ下と府崖線)
9)国分寺崖線の大沢(三鷹)・深大寺の湧水源
10)貫井神社と蒼浪泉園
11)ハケのみちを行く
12)幻影か―川霧の野川
13)“川を撮る”想い
・ 講座当日の朝撮影された写真を含め、長い年月をかけて撮影され選び抜かれた100枚以上の写真を観ながら鍔山さんならではの想いのこもった語りに耳を傾けた2時間半近くのスライド・ストーリーは、分厚い歴史と文化そのもので、大変興味深い川の流れのような鍔山ワールドでした。
・ 鍔山さんは、昭和25年(1950年)初めて東京へ出てこられ、大岡昇平の小説『武蔵野夫人』に登場する野川を初めて知ることになります。翌年の1951年、東京西部の武蔵野が舞台となった小説『武蔵野夫人』が映画化されますが、何と映画の舞台となったのは野川ではなく、平成20年に名水百選に選定された落合川(当時は弁天川)でした。
・ 武蔵野の地形と水みち図から武蔵国分寺建立の拠り所の一つである清冽な水の存在として、野川の源流のご紹介。鍔山さんは鳥となり上空から日立中央研究所の大池や姿見の池、東山道武蔵路を鳥瞰されます。
・ 野川源流の一つである真姿の池湧水群一帯を鳥瞰すると国分寺崖線の緑が連続して保全されていることが判り、すばらしい景観です。真姿の池湧水沿いの水路で見かけることができた、湧水にしか生息しないシマアメンボやフタスジモンカゲロウといった生きものも、湧水群も景観要素です。礎石が残る武蔵国分寺跡は歴史景観です。
・ 日立中研大池からの湧水の流れとお鷹の道湧水群からの流れは一里塚の不動橋で合流します。この一里塚のシンボルツリーであった一本の赤松はトラックの荷台で幹を傷つけられ、とうとう枯れてしました。
・ 殿ヶ谷戸公園の次郎弁天の池も湧水です。殿ヶ谷戸公園が開発から保全されたのは、市民運動のおかげでした。
・ 東京経済大学のキャンパス内には5か所の湧水口を持つ新次郎池があり、その流れは鞍尾根橋下で野川に入ります。
・ 休憩前の前編では聖武天皇の詔に拠り建立された武蔵国分寺がいかなる好処に建立されたのか、聖武天皇の想い、村山先生の想いを写真によって語ってくださったように思いました。
・ 後編は近郷の湧水ということで、国立谷保の青柳崖線と矢川、府中崖線とママ下湧水の話。三鷹大沢の湧水、湧水を集めて流れる野川流域で一番の水量を誇る深大寺の湧水源と水神を祀る深大寺の森と水と川の話。
・ 小金井の貫井神社の湧水と蒼浪泉園の湧水、ハケの道のご案内。
・ 都立武蔵野公園にあるくじら山はらっぱ下の野川で早朝出会うことができるという川霧の写真は幻影的です。川霧が立つようになったのは、生活用水が流れ込み汚れてしまった野川を市民と行政とが協働で今の野川にしたことによるのです。
・ 国分寺を源流とする野川の水辺空間は、時代とともに変わり続けていくことでしょうが、野川が水無し川にならないよう、次の世代へ繋ぐことができるよう、人と生きものとが永遠に共存できる野川であれとの鍔山さんの祈りをお聴きし、その想いの写真譜を拝見できたのではないでしょうか。
以上簡単なご報告です。スライド上映中は、室内が真っ暗でしたので、何も書きとめることができませんでした。ご報告に間違いがあるやもしれません。